第26代継体天皇陵の場所から考える事

古墳

百舌鳥・古市古墳群に興味があって各天皇陵を見て回るようになった。

宮内庁のホームページを見ていると奈良県橿原市から始まって主に奈良の南エリアに御陵が多い。

14代仲哀天皇になって大阪府藤井寺市が出てくる。

ここから百舌鳥・古市古墳の時代に入って南河内、堺エリアに御陵が現れる。

時代を追って見ていると時々、奈良県内に戻るが38代天智天皇の京都市39代弘文天皇の滋賀県大津市が出てくるまで主に大阪南部に御陵がある。

40代天武天皇から又奈良に戻って、しばらく奈良県が続く。

この御陵の場所に関して見ていて違和感を感じるのが第26代継体天皇陵

大阪府茨木市太田3丁目。うん?何で茨木市?

調べると出て来たのが金城塚古墳、高槻市、継体天皇陵。こちらが本当の御陵か問題。

どちらにしてもこの古墳だけこの時代に北大阪、淀川流域にポツンと飛んでいて奇妙な感じ。

調べるとそれまでは仲哀天皇の子、応神天皇の子、仁徳天皇の子、履中天皇の兄弟で反正天皇、允恭天皇、その子で安康天皇と繋がってきた系列が25代武烈天皇で切れる。

ただ単に適当な子孫が居なかっただけなのか、政治的な争いからそうなったのか、推論はあるもののはっきりはしない。

とにかく、26代継体天皇は応神天皇の5世子孫として傍系親族から登場してくる。

しかし、応神、武烈間だけですでに直系5親等もある。だから現在の法律の6親等内血族を親族と見る関係から考えても武烈、継体間では当時の人に親族として受け入れてもらえなかっただろう。

歴史的にもここで別系統の王族が出て来たと考えられている。

実際には継体天皇もその後の安閑天皇も仁賢天皇の息女達と婚姻する事で親族としての地位を確立していくみたいだ。

集英社版、日本の歴史、古代王権の展開 吉村武彦著によると

近江の方から出て来た継体天皇は最初は大阪府枚方市樟葉で宮を築いた。

その後、京都府綴喜郡田辺町三山木あたりに転居する。

次に京都府乙訓郡あたりに移り、淀川流域で動く。

樟葉に着いてから20年後に当時の政治の中心地になるであろう奈良県桜井市にようやく遷都する。

自分の地位を確立させるのにとても時間がかかっている。

そして生きている間に安閑天皇に地位を譲ったようだが、最後は暗殺されたかも?

ちょっと資料不足ではっきりしないが、この時期は朝鮮半島も含めて動乱の時代にあったようで波乱万丈の人生だったようだ。

色々な意味でこの継体天皇時代に歴史が動いたみたいだ。

いずれ時間があればそちらも訪れてみたいと思う。

 

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高橋一郎

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