安産祈願もできる誉田八幡宮(えんじゅの木)
昨日アップしたように元々は八幡宮は戦いの神のイメージがあるのです。でも、神功皇后が都ではなく戦地で応神天皇(誉田別尊)を無事に出産した話から安産の神様でもあります。出産自体は筑紫の国での話です。なのでこの木自体は何処から持って来たのかは分かりません
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昨日アップしたように元々は八幡宮は戦いの神のイメージがあるのです。でも、神功皇后が都ではなく戦地で応神天皇(誉田別尊)を無事に出産した話から安産の神様でもあります。出産自体は筑紫の国での話です。なのでこの木自体は何処から持って来たのかは分かりません
2024年、元旦去年は個人的にも色々とありまして、思うようにブログの更新も出来ませんでした。今年は前へ進む為にも戦いの年になると思います。戦いと言えば応神天皇にあやかろうかなあと思い、誉田八幡宮からのご挨拶とします。日本の古代史で大和政権が
去年の12月に木製の大きな埴輪が出土したから現地説明会がありました。たまたま土曜日でお昼の空き時間があったので見に行きました。場所は外環沿いでLICはびきの横の公園で行きやすいので沢山の人が来ていました。1回の説明では済まなくて一度に30人位を案内
恩智駅の駅前にある地図を見ていると外環沿いに少し南に進んで左折したところに『大塚』と表記されている。そんなに大きな塚がある様な場所には思えないのだが、駅からも近いので行ってみました。外環で恩智駅方面を振り返った写真です。それ程駅から離れていません。
午後1時から現地説明会の予定だったが天気予報通り今日は朝から雨。中止になるだろうなあと思いつつも1時前には小雨になっていたのでひょっとしてあるかもと思いながら行ってみた。でもやはり中止との事。資料だけ貰って帰って来ました。残念でした。で、この資料の中央上部
場所は大阪府藤井寺市津堂4丁目、西名阪自動車道と大和川の間。津堂城山古墳の西にあります。川から雄略天皇陵の東を通って堺大和高田線の方に行く道の新設に伴う発掘調査。明後日の土曜日は天気が悪くなると予報では言っている。
川から一番近い所で允恭天皇陵古墳が見えます。その背後に仲津姫命古墳がありますがこの位置からだと東の端が少しだけ見えるみたいです。その左手の奥に応神天皇陵古墳が見えます。写真ではよく分かりませんが右手の方に津堂城山古墳の木の頭の部分の緑が少しだけ見えています
住宅地の中に有る小ぶりの古墳です。野中宮山古墳とは別です。一番分りやすい道はタイトルに書いたように警察署と市役所の間にある細めの道を西進する事。入って行くと左に住宅の切れ目があって、目線上に緑の小山が見えるのですぐ分かります。山の手前を左に
昨日のブログに津堂城山古墳は現在よりも大きかった話を書いている。でも、それはおそらく明治、大正時代の話として聞いている。現在、南西の角に立つと昭和33年に設置された石碑が見える。ただ、南西から見ると古墳内部の整備の仕方に共通点が無いように見えて違和感があっ
待ちに待った、雄略天皇陵の拝所前道路の拡幅工事がようやく始まった。まだ、削った表層の土をベルトコンベヤーで運びだしている状態だけど。この後、目的の層まで掘り下げて発掘調査。必要があれば現地説明会。無ければそのまま工事開始になる。年内は無理だろうけれ