昨日アップしたように元々は八幡宮は戦いの神のイメージがあるのです。
でも、神功皇后が都ではなく戦地で応神天皇(誉田別尊)を無事に出産した話から安産の神様でもあります。
出産自体は筑紫の国での話です。
なのでこの木自体は何処から持って来たのかは分かりませんが、
羽曳野市の保存指定樹になっています。
辰の絵馬は思っていたよりも小さい。
手水舎の辰です。コロナ禍以降蓋がされてまだ使えません。
残念です。
追記
誉田別尊(ホムタワケノミコト)応神天皇を祭神にする神社って結構あります。
でも応神天皇陵古墳の南側で荒ぶる御霊を押さえるこの神社が最重要社だと思われます。
神様って豊穣を与える存在だけでなく厄災ももたらす畏怖すべき存在なんですよね。
旧仮名で『ホムタワケノミコト』と書く時、読みは『ほんだわけのみこと』にとなります。
意味は「誉める田んぼを別けている」と考えると本家ではなくて分家の人だったのかなあと思われます。
それが争いの中で第15代天皇になっているので、当時も周りの人達から恐れられていたのではないかと考えられます。
だからか、今も誉田を「ほんだ」と読むのは恐れ多いのか地元民は誉田を「こんだ」と読みます。