河内国渋川郡の名を残すJR八尾駅前で渋川神社
7世紀の歴史上の大事件と言えば仏教伝来。推進派の蘇我家と神道派の物部家が河内国渋川郡で軍事衝突をする。激戦の後、聖徳太子がいた蘇我馬子軍が勝利し物部家が没落するきっかけになります。古戦場跡地はここから南西方向にある大聖勝軍寺に記念碑があります。当時
7世紀の歴史上の大事件と言えば仏教伝来。推進派の蘇我家と神道派の物部家が河内国渋川郡で軍事衝突をする。激戦の後、聖徳太子がいた蘇我馬子軍が勝利し物部家が没落するきっかけになります。古戦場跡地はここから南西方向にある大聖勝軍寺に記念碑があります。当時
下から見るとこんな感じで色々な場所から見えます。ずっと気になっていたのです。でもわざわざ山登りするのもなあ。時間も取れないし。そう思って何年か?今日、やっと行けました。大県南の交差点から関電の変電所に向けた道路を登ります。
八尾市は大きな市なので駅ももっと大きくても良いはず。しかし歴史が古いがゆえに駅前の道も狭くて家も立て込んでいて駅も小さいです。近鉄八尾駅の方が八尾市の表玄関のイメージになっているんですよね。個人的には近鉄八尾駅よりこちらの雰囲気の方が好きです。
旧の中央環状線は今は八尾空港の滑走路で道が切れているのでここはあまり通らないのですが、了意橋のバス停付近に八尾市の歴史的案内が並んでいるのを見つけたので思わず撮影してしまった。八尾市も頑張っているのです。
駅前の古い建物を随分長い間かけて潰していた。新しく出来るビルに何が入るのかと思っていたら、3月中旬にファミマオープンのお知らせ。この付近はずいぶん古い建物が残っていますが、少しづつ資金が入って来て街の雰囲気も変わりつつあります。
近鉄大阪線の恩智駅は八尾市で外環状線の上にあります。ここから山の方に登って行くと恩智神社を始めとして古い建物に色々と出会えます。
恩智神社に5度目の訪問になります。前回は右の道を取って失敗したので今回は左の道を進みます。ここから見ただけでも坂が急なのであまり行きたくないのですが半端ない坂を登ります。神社を右に見ながら登ると恩智越えの道で奈良県内に入っていけます。神社を
神社の一番下から階段を上がってここまで来ることもできます。私は左の急坂を登って駐車場の入り口から入りましたが。まずは手を洗いましょう。ウサギと龍です。駐車場からの入口も兎龍門になっていました。拝殿です。狛
弘法大師所縁の井戸らしいですが、神社の中なんですよね。なのに何故か弘法大師が出てきます。フリーダムな日本の思想ならではなのでしょうか?雨が降る前に水が赤く濁ると言う言い伝えがあります。でもこれって山の上で降った雨が急斜面を崩して地下水に流れ込み井戸で土の混
1回目に来た時は旧170号線のそばにある鳥居を潜ったものの途中で恩智城址公園へ行ったりしていたので神社自体は接触しただけで終わりでした。今日は2回目の訪問です。神社の一番下の分かれ道の場所。階段を上って入って行くのも良いのですが