7世紀の歴史上の大事件と言えば仏教伝来。
推進派の蘇我家と神道派の物部家が河内国渋川郡で軍事衝突をする。
激戦の後、聖徳太子がいた蘇我馬子軍が勝利し物部家が没落するきっかけになります。
古戦場跡地はここから南西方向にある大聖勝軍寺に記念碑があります。
当時の渋川の名前は八尾市渋川町として久宝寺駅のそばに地名が今も残っています。
この神社も昔は旧大和川、現在の長瀬川の東側にあった様子ですがこの川が度々氾濫して移転をしてきたようです。
入り口が駅の方に向いてない上に周囲の道も細いので南から接近するとどこから入るのか探しました。
ただ、大きなクスノキは遠くからも見えていて良い目印になります。