御廟山古墳_百舌鳥古墳群_やはり今回も迷った
最近は日没時間が早くなって、5時になると暗くなる。夕方でこのエリアに寄り道するのが難しくなってきた。この日は最初は土師ニサンザイ古墳だけ行こうと思っていた。地下鉄のなかもず駅からときはま線沿いに進めば良いのは分かっていたが、阪和線沿いに道を探している私は又
最近は日没時間が早くなって、5時になると暗くなる。夕方でこのエリアに寄り道するのが難しくなってきた。この日は最初は土師ニサンザイ古墳だけ行こうと思っていた。地下鉄のなかもず駅からときはま線沿いに進めば良いのは分かっていたが、阪和線沿いに道を探している私は又
西馬塚古墳から市役所のある幹線道路に出ようと曲がりくねった道を移動している時に見つけた。ただの空き地の前の道端にポツンとあった、遺跡の説明文。古墳を沢山作るとそこで使う埴輪を大量に焼く場所が必要になる。遠い所で焼いてわざわざ運搬なんてしない。
白鳥小学校の東、羽曳野市役所の南、古市駅の北にあるのだが、住宅地の中にあって、道が非常に分かり難い。外環状線(170号線)と古市駅前を通る旧170号線の間を結ぶ羽曳野市役所前の幹線路も地図を見ると170号線になっている。この道が古市駅から北西方向に伸びてい
5世紀頃に仁徳天皇が難波高津宮に居を置いたのは比較的目にする機会が多い。しかし、難波宮の発掘調査の話になると、仁徳期の話が出てこない。詳しい話が無いかと探していたら『難波宮と都城制』中尾芳治・栄原永遠男編_吉川弘文館発行を見つけた。この本によるとま
上の写真は永山古墳の南西角から見た写真で濠の西に下の案内図を見る。上下に地図がある。上が古墳の全体と現在地。下の地図で仁徳との位置関係が分かる。この辺りは大阪中央環状線と国道310号線が合流していて堺中央線を走って西から接近するならば、310号線の
昨日は仲哀天皇の親として日本武尊の話を書いた。今日は続きで神功皇后の話です。古代史において仲哀天皇の関係者で出てくる重要人物として神功(じんぐう)皇后がいる。神功皇后は仲哀天皇の妻だから素直に言えば仲哀皇后で良いはず。その方が後世の私たちにも分かり
白鳥陵古墳に立っている説明文から古代の話というと必ず出てくる古事記と日本書紀、でもこの2つの話は記述が違っていたりするし、正確に史実を伝えているとは言えない部分もあって、学校ではあまり深く習わなかった。しかし、日本武尊と書いてヤマトタケルノミコトと読むこの
近鉄南大阪線藤井寺駅を南に下車して直進する。遣唐使の船を模した大きなアイセルシュラホールを左に見て通過すると道が左にカーブする。そのまま曲がれば応神天皇陵古墳の方に行く。でも今日はコーンの立っている右方向の道に入る。右に曲がると上り坂になっ
近鉄南大阪線藤井寺駅を降りて南の商店街を抜けると藤井寺西小学校が右手に見える。この小学校を過ぎると道が2つに分かれる。そのまま直進するとアイセルシュラホールから仲哀陵の東に、小学校に沿って斜め右に延びる道を取ると仲哀陵の西に出る。
写真は産経新聞からお借りしました10月7日の産経新聞の夕刊に仁徳天皇の皇后陵の記事があった。発掘調査の結果、仁徳天皇陵古墳と同じように濠の内側の堤に石敷きの装飾があったとの話。仁徳天皇と皇后の磐之媛命には不仲説がある。日本書紀や古事記には嫉妬深い女性として