古墳

仁徳天皇陵古墳に埋葬されているのは允恭天皇?

『世界遺産と天皇陵古墳を問う』今尾文昭・高木博志編 2017年1月7日発行(株)思文閣出版よりこの本は10人の専門家がそれぞれに章を分担して主に百舌鳥古市古墳群についての問題点を検証している。特に私が注目したのは岸本直文氏の古市・百舌鳥古墳

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古墳時代ってどんな時代?

縄文時代から農耕文化が入ってきて弥生時代になる。すると人は共同作業が必要になってきて小さな集落は規模を大きくしていきクニと呼ばれるように大きくなる。魏志倭人伝には百余国あったとか。それらの代表を王、と呼び、その国々をまとめてヤマト王権が3世紀中期に誕生する

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津堂城山古墳を南から見た風景 何故か統一感が無い?

昨日のブログに津堂城山古墳は現在よりも大きかった話を書いている。でも、それはおそらく明治、大正時代の話として聞いている。現在、南西の角に立つと昭和33年に設置された石碑が見える。ただ、南西から見ると古墳内部の整備の仕方に共通点が無いように見えて違和感があっ

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石碑があるのに歴史から消されそうな古墳

允恭天皇陵の陪塚い号 八王子塚古墳允恭天皇陵の北側道路を西に向かって進むとこの古墳の北西部分で旧170号線に突き当たった先に石碑が建っている。この場所はいつの調査か分からないが、古墳でない可能性が指摘されていて、どうもこのままでは歴史から消えてしまいそうな

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允恭天皇陵陪塚い号 藤井寺市林6丁目7-18

藤井寺市の北東部でグーグルマップを表示すると允恭天皇陵の陪塚「ろ号」と、「は号」は表示が出てくる。しかし、「い号」が見当たらない。昔の記憶の話。允恭天皇陵のすぐ横の道を自転車で真っすぐ走ったら突き当たりで古墳の土手があって、その土手を駆け上ったらいきなり、

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旧170号線上、大和川の堤防から南を見る。

今から約50年前の話。私が一度だけこのあたりに立った時、このあたりから斜め右方向に大きな古墳が連なって見えた。「凄い、こんな景色があるんだ‼」その時の感動が今も忘れられない。去年、古市古墳群が世界遺産に認定されたのを機に時々、昔の記憶を頼って何度か

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允恭天皇陵の東 宮の南塚古墳

近鉄南大阪線の土師ノ里駅から東へ允恭天皇陵を左に見ながら歩く。古墳が終わった所で左折して北に進むと国府八幡神社に出会う。神社の南にある細い道を西、允恭天皇陵に向いて入って行くと古墳が見える。下の写真で左方向から入ってきて右方向へ抜けた。民家の間を通

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雄略天皇陵の拝所前の道路、拡幅工事

待ちに待った、雄略天皇陵の拝所前道路の拡幅工事がようやく始まった。まだ、削った表層の土をベルトコンベヤーで運びだしている状態だけど。この後、目的の層まで掘り下げて発掘調査。必要があれば現地説明会。無ければそのまま工事開始になる。年内は無理だろうけれ