昨日のブログに津堂城山古墳は現在よりも大きかった話を書いている。
でも、それはおそらく明治、大正時代の話として聞いている。
現在、南西の角に立つと昭和33年に設置された石碑が見える。
ただ、南西から見ると古墳内部の整備の仕方に共通点が無いように見えて違和感があった。
手前の低木で挟まれた緑の草地と東側の短く刈り込まれた草地を見て何故だかよく分からない線引きをしているように感じた。
たまたま、地元の人と古墳の話をしていて、昭和30、40年代は今の形をしていなかったと聞く。
上の写真の東に駐車場があってその奥の杭から北にのびる線、それが、昔は小山から津堂へ抜ける道だったらしい。
そしてこの道より左で畑を作っていて高台の方ではサツマイモが西の低くなっている場所では蓮根が作られていたと聞く。
しかも勝手に作っていたのではなく土地登記もされていて個人の所有地として正式に認められていた。
話を聞けた人から地籍図を見せてもらえた。
確かに古墳の内部で文筆された区画がある。一区画25坪とか。
どうして古墳の敷地が切り取られたのかはっきりと分からないが、戦後不在地主の場所を小作人に分け与える農地改革があった時にもっと前から空き地のつもりで耕作していた人に分け与えられたのではないかとか、
今では役所でもはっきりした事は分からないらしい。
文筆されている場所の現在の所有権がどうなっているのか分からないが、まあ何となく一括で公園整備をし難い状態なのでしょう。
東側は菖蒲園が作られていて心置きなく公園整備をしている感じです。
一連の話を伺って違和感については納得はした。
でもこの様な事情が古墳群全体にあるとしたら、保存って本当に大変ですよね。
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