石碑があるのに歴史から消されそうな古墳

古墳

允恭天皇陵の陪塚い号 八王子塚古墳

允恭天皇陵の北側道路を西に向かって進むとこの古墳の北西部分で旧170号線に突き当たった先に石碑が建っている。

この場所は

いつの調査か分からないが、古墳でない可能性が指摘されていて、どうもこのままでは歴史から消えてしまいそうな感じがする。

私の昭和46年頃の記憶で子供の時の思い出だから位置的に勘違っているかも知れない。

でもその頃、濠で囲まれて中心部分で雑木が生えている古墳があったと思う。

現在のキリン堂薬局から惣社南の交差点の部分まで。

昔の航空写真を見てもそこに杜らしきものが見える写真もある。

しかし、それを考えた時に疑問に思うのが一つ。

この石碑、裏から見ると昭和6年11月建立になっている。

本当に昭和6年からずっとここに建っているのか?

この土地と道路との間で今は空き地になっているが、少し前まで道路際に建物があった。

もっと以前は周りが木で覆われていたはず。

昔はこの付近で、はげ山の古墳があった記憶はない。

だとすると墳丘の真ん中に石碑を建てて「みだりに入るな」と言っても意味が無いはず。

このタイプの石碑は道路の際に建っていて道を通る人に警告してこそ意味がある。

それなのに現在、この石碑は周りの道から離れたところに建っている。

旧170号から石碑の南に入って行く道

石碑の北に建つ薬局。この写真の左隅に石碑がある。

南から石碑に接近する。

手前に飲食店等が並んでいて、その奥に入って行く道

 

北側の薬局と石碑の建つところの境界部分からの写真

現在、石碑が占有権を主張している場所。

 

昭和6年当時は宮内省がその権利を主張するほどの古墳があった。

ただし、石碑の位置はここではなかった。

この前の道は河内橋から土師ノ里駅に向かう重要な位置にあるので、戦後の比較的早い時期に開発の波にさらされた。

その結果、古墳が潰されて道路脇が私有地として商業利用されるようになる。

道路に面していない商業利用のし難い土地が真ん中に空地として残る。

元々。道路際に建っていた石碑は邪魔になるから工事関係者が勝手に空地へ移設する。

文化財保護の機運が高くなって、周辺を改めて調査するが、すでに大部分が民有地になっているために十分な調査が出来ず。

古墳であったしっかりした証拠が出せない。

結果、商業利用できなくて残った空き地を中心に見て。

「古墳じゃないらしいよ~。」

「専門家がそう言ってた~。」

途中、私の想像も入っているが、こんな感じで歴史から消えるのかと思うと残念で仕方がない。

 

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高橋一郎

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