第1回近つ飛鳥の旅のおまけ_古代の終わり推古天皇
図は集英社版 日本の歴史3 『古代王権の展開』 よりそもそも、近つ飛鳥って何?と思われる方も多いと思う。大阪府南河内郡河南町東山299にある近つ飛鳥博物館のホームページの説明によると【「近つ飛鳥」という地名は、712年口述
図は集英社版 日本の歴史3 『古代王権の展開』 よりそもそも、近つ飛鳥って何?と思われる方も多いと思う。大阪府南河内郡河南町東山299にある近つ飛鳥博物館のホームページの説明によると【「近つ飛鳥」という地名は、712年口述
聖徳太子の御廟、叡福寺を出て寺の東側の道路を南へ向かう。聖徳太子と言えば歴史上セットで登場するのが推古天皇。近くに、敏達陵、用明陵、推古陵があるのは地図上で確認済み。ここまでで時間的に3か所を訪れるのは無理になっている。せめて推古陵だけでもと思い、
上の写真は南大門から入って正面に見える建物で奥に見えるお堂が聖徳太子の御廟らしい。でも、何かこう、私の中でイメージが合わない。勝手にもっと、古い、ひっそりとした感じを持っていたから。そのまま、正面から東側に移動する。そちらにはお堂が複数個あって、そ
叡福寺の北にある聖徳太子墓(北古墳)に行こうと思って、お寺の西から太子霊園の方に入る。でも、そこは普通の霊園で現代の人の墓石が並んでいる墓地だった。目的はここではないのにと思いながら山を登る。すると、景色が開けて見晴らしの良い場所に出た。南西方向に
昨日の続きです壺井八幡宮の正面を出て石川の方に戻らずに南に延びる細い道をそのまま南下します。途中で太い道と合流し、南東方向に道なりに進むと左折したら叡福寺の表示があって、指示通りに曲がる。ここから少し上り坂で山間の道になるが上がって行くと左に叡福寺が見えま
昨日の続きです。そもそもこの神社のある南河内はは河内源氏発祥の地とされているらしい。後に鎌倉幕府を開いた源頼朝の先祖を祀っている。ちなみに現在、古墳時代から飛鳥時代でウロウロしている私にとって、いきなり鎌倉時代に行きたくないのだけれど、今日の目標は
以前からずっと気になっていた。古市古墳群は羽曳野市の東部を南北に流れる石川の西に位置する。ところで、外環沿いの峰塚公園の高台に立って東を望むと白鳥陵の向こうに二上山が普通に見えて、その間を平地が広くつながっている感じがする。地図を開くと、石川を越えて南に向
日本書紀の第11巻仁徳紀にある。仁徳天皇11年4月に大阪の地で耕作地を増やすためにため池や水路の構築を命ぜられた。そこでその年の10月に淀川流域で堀江や茨田の堤を着工する。13年10月に和珥の池、同月横野堤、14年11月に猪甘の津に架橋、同年、大道
上の地図は中央公論社発行、井上光貞 監訳 日本書紀 上巻の初めに載っている古代の畿内地図の一部分です。分かりやすいように位置の目安として〔 〕内に現在地名が付いています。古代と一口に言っても幅が広いのですが、この地図を見ると、応神天皇陵と仁徳天皇陵があって
今年の春に国府遺跡を訪れた時に宮の南塚古墳には寄った。しかし、こちらの古墳はたまたま近くで道路工事をしていたので住宅地内の内部にあるここまで侵入するのを遠慮した。11月になってようやく再訪する機会が作れた。允恭天皇陵(市野山古墳)の周りは沢山の陪塚があった