壺井八幡宮に寄ってみた_羽曳野市壺井605-2

古墳

以前からずっと気になっていた。

古市古墳群は羽曳野市の東部を南北に流れる石川の西に位置する。

ところで、外環沿いの峰塚公園の高台に立って東を望むと白鳥陵の向こうに二上山が普通に見えて、その間を平地が広くつながっている感じがする。

地図を開くと、石川を越えて南に向かい近鉄河内長野線の喜志駅から東に延びているあたりに推古天皇陵がある。

推古天皇は時代が古墳時代ではなく、飛鳥時代になる。

推古朝あたりから藤原京に落ち着く付近まで明日香村の中で宮が移動している感じがあって、このあたりから教科書的には奈良県内の話が一挙に増える。

しかし、飛鳥時代の前の方では、まだ日本国内への仏教誘致に関して蘇我馬子(聖徳太子)軍VS物部守屋軍の決戦で八尾市が舞台として登場したりしている。

つまり飛鳥時代の始めの人達は大阪にも足場がしっかりとあって、だから、聖徳太子は四天王寺を奈良県ではなく大阪市天王寺区に建てた。

そこで聖徳太子も推古天皇も目の前に広がる南河内のこの地に眠ることになる。

時間が作れれば羽曳野市の南にも訪問したいと思っていた。

ようやく行ける機会があった、と言うか作れたので昼の12時過ぎに道明寺の方から石川の堤防沿いに南に向かって走る。

第一目標は叡福寺(聖徳太子墓)その後、時間が許せば敏達天皇、用明天皇、推古天皇陵のどれか、

途中の寄り道はありで出たとこ勝負。

そう考えて石川に沿って南に向かう。

羽曳野大橋を過ぎて少し行くと、左折したら壺井八幡宮に行けるとの案内板が交差点にあったので、寄ってみる。

ここに行っても場所的に叡福寺はその道の先にありそうだったのでOKだよね。

 

上の写真は道を東に進むと突き当たりにあった案内表示。

左を見ると鳥居と急な石段が見える。

ちょっと戸惑いながら鳥居に接近。

1057年、前9年の役で源頼義が東北に遠征した時に水に困って、神様にお願いしたところ、清水が沸いたとか。

結果、勝ち戦でその水を持ち帰って、井戸を掘って、壺をここに設置して云々。

だから、壺井八幡宮。なるほど。

謂れはそんな感じ、ここで先に続く石段を上ろうか、ここだけで叡福寺を目指すか悩んだ。

時間がないし~。

でも登ることにした。

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高橋一郎

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