図は集英社版 日本の歴史3 『古代王権の展開』 より
そもそも、近つ飛鳥って何?と思われる方も多いと思う。
大阪府南河内郡河南町東山299にある近つ飛鳥博物館のホームページの説明によると
【「近つ飛鳥」という地名は、712年口述筆記された「古事記」に記載があります。
履中天皇の同母弟(後の反正天皇)が、難波から大和の石上神宮に参向する途中で二泊し、その地を名付けるに、近い方を「近つ飛鳥」、遠い方を「遠つ飛鳥」と名付けたというものです。「近つ飛鳥」は今の大阪府羽曳野市飛鳥を中心とした地域をさし、「遠つ飛鳥」は奈良県高市郡明日香村飛鳥を中心とした地域をさします。この「近つ飛鳥」の地は、難波の津と大和飛鳥を結ぶ古代の官道-竹内街道の沿線にあたり、周辺には大陸系の遺物を出土する6世紀中葉以降の群集墳が広がっています。
また、南部の磯長谷には、敏達・用明・聖徳太子・推古・孝徳の各陵墓指定地など飛鳥時代の大古墳が集まっていて、俗に王陵の谷とも呼ばれています。
なお、平安時代に編纂された「新撰姓氏録」によると、当地周辺には百済系(飛鳥戸造、上曰佐)、新羅系(竹原連)、中国系(下曰佐、田辺史、山代忌寸)の渡来系氏族が居住していたという記載もあり、「近つ飛鳥」の地域は、国際色豊な地域であったことを今に伝えています。】
となっています。要は、古市古墳群と山を越えて奈良県に入るまでの間の南河内エリアだと考えて頂ければ良いかも。
時代的には古墳時代に続く飛鳥時代の天皇陵に出会える場所って感じです。
今回は聖徳太子の叡福寺と敏達天皇陵古墳しか行けませんでしたが、ちょっと整理。
第30代敏達天皇、第31代用明天皇、第32代崇峻天皇、第33代推古天皇と続きます。
崇峻天皇陵は奈良県桜井市と離れた場所に治定されていますが、他3名はこの近つ飛鳥にあります。
系譜を見ていて興味深いのは、実はこの4名は全員欽明天皇の子です。
ただ、敏達天皇は非蘇我家の母を持ちそれ以外は蘇我家の母を持つ異母兄弟にあたります。
それで、現在なら考えられないけれども、敏達天皇と推古天皇って異母兄弟で結婚して竹田皇子を産んでます。
で、用明天皇の亡き後、上の図にはないけども、(小姉君)馬子の妹を母に持つ崇峻天皇が中継ぎ登板をします。
本当だったらその後、敏達天皇とまだ天皇になる前の推古天皇の子、竹田皇子が33代を継げば良い。
だけど、敏達天皇は蘇我家母ではないから物部よりの人だったみたい。
しかし、物部守屋が蘇我馬子と今の八尾市で武力衝突して倒された後で、蘇我系統の厩戸皇子(聖徳太子)を押す人も多くて揉めたらしい。
それで、混乱を避けるために女性天皇として推古天皇が誕生する経緯があった。
当時は紛争後の整理で大変だったのでしょうね。今は近くで皆、寝ているけれど。
時代的には、推古天皇、古を推しはかる人で一つの時代が終わった感じがあるみたいです。
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