昨日の続きです
壺井八幡宮の正面を出て石川の方に戻らずに南に延びる細い道をそのまま南下します。
途中で太い道と合流し、南東方向に道なりに進むと左折したら叡福寺の表示があって、指示通りに曲がる。
ここから少し上り坂で山間の道になるが上がって行くと左に叡福寺が見えました。
来年、聖徳太子の没後1400年の法要をするみたいです。
真正面に見える西方院への登り口。
道は叡福寺と西方院の間の谷筋にあって金剛バスのバス停はここで停まるもののどちらに参詣するにも階段を上らないといけない。
聖徳太子のパネルが可愛い。
石段を上がって仁王門。
これぞお寺って感じ。個人的感想ですが。
門を通って中に入ると来年の1400年記念法要に向けての幟が大量に立っている。
塔は2重でそれほど高くはないが久しぶりに塔があるような広いお寺に来れて何故か嬉しい。
考えてみればコロナ騒ぎからこっち、四天王寺へもしばらく行けていないなあ。
ここの来年の法要も準備が大変だろうなあ。と思いつつ、境内を見て回る。
河内国、上之太子、磯長(しなが)山、叡福寺縁起
聖徳太子の所縁のお寺と言えば、この上ノ太子叡福寺(南河内郡太子町)
と四天王寺(大阪市)、法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町)、
それと中ノ太子、野中寺(羽曳野市)、下ノ太子、大聖将軍寺(八尾市)等がある。
法隆寺のある生駒郡斑鳩町の位置も地図を見れば生駒山を挟んで八尾市の真東にあり奈良市や平城京とは離れた場所にある。
このようなことから聖徳太子の時代は平城京はまだ無かったし、藤原京も出来る前の飛鳥時代だったので彼らの活動拠点は大阪府と奈良県南部にかけての範囲だったと伺える。
ちなみにこの上ノ太子の付近を奈良県の明日香村に対して近つ飛鳥とも呼ばれている。
すぐ近くの富田林市に、近つ飛鳥博物館もあるのだが、知名度の方は残念ながらあまりあるとは思えない。
学校でもこの時代を深くは習わないから、奈良と言えばすぐに頭が平城京、奈良市、奈良公園の鹿の方に飛んでしまう。
なんだか残念です。もうちょっと、この地域の知名度が上がらないかなあと思う今日この頃です。
すいません。叡福寺に着いたところで終わってしまいました。まだ続きます。
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