允恭天皇陵(市野山古墳)北西の角

街並み

今から約50年前、小学校6年生だった私が1度だけこの古墳の北西に来たことがある。

当時、東大阪市に住んでいた私は長瀬川沿いに友達と3人で自転車に乗って川の上流、大和川との分岐点を目指す旅に出た。

もっとも、結果的に小学生3人だけで、八尾市を突き抜けて柏原市から藤井寺市内に入る長距離移動になったので、後で、学校で怒られる羽目になったのですが。

最近になってこの地域を一人で動く機会も増えてきて当時の記憶を辿っていた。

長瀬川から大和川の堤防の上に登ってゴールする。

堤防の上からは足元に田園風景が広がっていて、前方方向に沢山の古墳が見えた。

そのまま帰らずに、少し堤防上を移動して旧170号線で大和川を渡り、そこで坂道を駆け下っている。

とても背の高い古墳が目の前にそびえていた。

一般的に古墳そのものを山と呼ぶことも多いのですが、

大和川は古代より大量の土砂を奈良県から運んでくる川で、その堆積によってこのあたりの北側で河内湖が埋まっていった経緯がある。

しかし、この市野山古墳の頂上は大和川の水面よりも高い位置にあって、堆積によってできたのでもなく元からここに山があったと推定される。

西からは長い坂道を登ってくるから人工的にここだけ築山された訳でもない。

50年前は北側斜面に家なんて建っていなくて、大和川から駆け下った道路のあたりから斜面に木が生い茂った大きな山があったと思う。

だから北側から見て山の上に登れるなんて思ってもいなかった。

現在は市野山古墳の内濠の北側に立って北を見ると足元にコンクリートの壁があってすぐ目の前に家が建っている。

「ここって、たしか古墳だったよね!」

「斜面を削って、家を建てちゃったの?」

50年であまりにも景色が変わっていたから記憶を繋ぐのに1年位かかってしまった。

近くにあった小さな古墳もなくなっているし、考えてみれば千数百年続いてきたものが、たった数十年で変貌している。

変化は仕方ないのかもしれない。でも、潰れたら元に戻せないから勿体ないなあと思うのは年のせいでしょうか。

 

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高橋一郎

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