大和川_下高野街道に架かる下高野橋

街並み

私にとってこの橋はただの生活道路の一部で旧街道のイメージは無い。

大和川より南は途中で西除川の川沿いを走っていたり、府道大阪狭山線だったりするので、普通の道的感覚しかない。

しかし、改めて考えてみる。高野街道って、東高野、中高野、下高野、西高野と複数本ある。

東高野街道は山沿いに進み河内長野から高野山を目指すルート。

中は守口市の方から南下して高野橋を渡り、下は四天王寺から南下してこの下高野橋を渡り両街道は松原市内を縦断してさやま池を経由して河内長野市から高野山を目指す。

西高野街道は堺市の海の近くから南東方向に進み、これもさやま池のそばを通って河内長野から高野山に入る。

昔はさやま池が交通の拠点になっていた。その拠点と東西方向にブレがなく、南北に伸びていて最短距離で移動できたのがこの下高野街道である。

その割には中高野街道が街道を移動する人達の休憩所や宿屋があった記録や道標が残っているのに対して下高野街道はそのような物を見かけない。

物見遊山的ルートではなく、急いで移動したい人向けに田んぼの中に急行用ルートとして存在していたのか?

何故この差が付いたのかわからないが、改めてこの街道を見てみよう。

北から南へ橋に向かって坂道を上っていく。堤防が高い天井川なので結構きつい坂道になっている。

電動アシストの普及によりあまり聞かなくなったが、少し前は自転車の人には嫌がられていた。

元々はすれ違うのもやっとな歩道しか付いていなかったが、橋が新しくなって橋の上で川を眺める場所も出来た。

真北ではなくて少し西側に見えるあべのハルカス

天王寺から真南に古代は難波大道があった。だが、現存する道はない。

西、下流方向に行基橋が見える。その向こうに下水の今池処理場がある。

今池遺跡の発掘調査で難波大道の跡が見つかった。

上流側を走る近鉄南大阪線      ゴールはあべのハルカス(阿倍野橋駅)

橋の南側だが住所的にはまだ松原市ではなく大阪市内になる。

坂を下りきった所の天美神社の先でやっと松原市になるので、この付近に住む小・中学生は毎日橋を渡って学校に通っている子達が居る。

古い橋より東に新しい橋が出来たため、道路が東にずれた。その結果、西に空地が出来た。

松原市内には珍しく途中で行き止まりにならずに南に抜けられる道となる。

 

 

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高橋一郎

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