百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産に登録されてから古墳の訪問をしてきた。
その中で感じる。
日本が一つの国と意識されるのは何時なのか?
どうも7世紀後半に律令国家体制が確立した時が一つの区切りらしい。
だからそれ以前の人達には当然、『日本』と言う意識があった訳ではない。
学生時代を振り返ってみて、歴史の時間に習った当時の私の記憶。
狩猟・採集で生活をしていた縄文時代人の住んでいる場所に、水稲技術を持って日本列島に移動してきた弥生時代人がいる。
その後、古墳時代に入ってそのまま列島に定着した人達の子孫が増えてきたようなイメージがあった。
ただ、この1年ほど昔の話を見ているとやたらと渡来人の関わりが見えてくる。
ただ単に『大陸から使節団が来ました。』的な薄い関係ではなく、
『渡来系の氏族がどうの』的な話が出てくる。
仏教伝来の話にしても『経典を持ち込んだ留学生や○○博士がいて』ではなく、
元々、そのような思想を持った人達が大量に流入しているのではないかとの疑問が起きてくる。
岩波講座 『日本通史』 第1巻 「日本列島と人類社会」の中で埴原和郎氏の日本人の形成の項目で人が大量に流入している話を見つけた。
この話では遺跡から発掘された人骨の特徴から人の移動を考察している。
これによると旧石器時代には東アジア全般に新人類と呼ばれる人が広がっている。
縄文時代に入って海水面が上昇して東南アジアの島々や日本列島が大陸から離れてしまう。
この頃に縄文人の特徴が出てくるのだが、北海道から沖縄、東南アジアの島にかけて同じような人たちが存在するらしい。
その後、弥生人が大陸から海を渡って北九州地域にやって来る。
そこで北九州を中心に弥生系渡来人が増える。
縄文時代はどちらかと言うと東日本の方が西日本より人口が多かったらしい。
ところがやがて西日本の人口が東日本より多くなる。
当初は農耕文化で食料が安定して人口増加に寄与したのだろう。
西日本で縄文人の村と渡来系弥生人の村が近くで混在するようになるらしい。
(人種的混血ではない。)
その後。弥生人は海を渡る技術を持っているから古墳時代に入っても大陸からの流入が続く。
そして倭が畿内を中心に勢力を拡大するのに合わせてすでに定着している弥生人とその後、やって来た渡来系弥生人との間で混血を進めながら、西日本で急激な人口増加を見る。
この時期に朝鮮半島の人達と西日本の人達の身体的特徴が共通してくる。
歴史書には神功皇后の三韓征伐や広開土王の話等の記録が出てくる。
現代も政治的には韓国・北朝鮮から中国との間でも色々あるが、それとは別に経済上の交流、現地駐在、観光旅行等人は動くし、国際結婚もする。
記録上の事件だけではなくて古代の人々も、それまで私が想像していたよりももっとダイナミックな人口流動が伺われる。
後になって、この日本人の特徴となるものが東日本にも広がっていく。
だが、北海道と琉球はかなり後年まで縄文人の特徴を引き継ぐ形となる。
私はここで人種的にどうこう言うつもりはない。
ただ、巨大古墳を数多く作った人たちとその中に埋葬した埴輪を大量に作った人たちは何処から来たのかを言いたいだけで他意は無いです。
現代でもそうですが人は仕事のあるところに動く。
特に多くの技術者を必要としたときに自前で育成するより、即戦力を引き抜いた方が早く結果が出るから埴輪制作をした人たちを全て一から育成したとは思えないので、ここで書いてみました。
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