恩智神社の頓宮_鳥居から坂道を下った所
恩智神社の鳥居から恩智駅に向けて坂道を下がっていくと街の中にポツンと空き地がありました。恩智神社の頓宮になっています。頓宮は天皇が行幸する時に使った臨時の宮です。ここで休憩又は宿泊した後で神社に参拝したのでし
恩智神社の鳥居から恩智駅に向けて坂道を下がっていくと街の中にポツンと空き地がありました。恩智神社の頓宮になっています。頓宮は天皇が行幸する時に使った臨時の宮です。ここで休憩又は宿泊した後で神社に参拝したのでし
恩智城址公園から元の道に戻り神社を目指してさらに山を登ります。道が二つに分かれて神社の入口部分が正面に見えて来ました。この先は石段がずっと続いていて奥はかなり深そうです。昭和52年に古くなった石段を修復した旨の石碑です。今日は時間が
旧170号線のそば、恩智神社の鳥居を通過してから山道を登ります。真っすぐ進むと神社があって、信貴山への登山道になりますが、ここで右折して城址公園を目指します。公園の横から入ります。 お城の石垣の上に登ると石碑
近鉄大阪線の恩智駅を降りて少し南に。府道を東に緩やかな坂道を登って行くと旧170号線との交差点を過ぎた所にあります。柏原市の安堂駅から旧170号線を北に移動していると山側に建つ神社への入り口が、それぞれにこの道沿いに建っていて道案内をしてくれます。ここから
八王子神社は丁度、夏祭りの準備で沢山の人が出入りしていました。準備の邪魔をしたくなかったので境内に入らずにそのまま道を東に神宮寺墓地を目指して進みます。神様の宮なのかお寺なのかよく分からない名前だなあと思いながら進むと山の斜面に大きな墓地がありました。
今日は恩智神社を目指して旧170号線を北上しました。まず外環から志紀駅付近を通過した後、曙川に沿って移動します。途中までは川沿い、大体この辺かなあと適当な場所で川から離れて旧170号線へ出たら八尾市神宮寺のあたり。ここから北に少し進むと恩地左近の墓のある場
元々、土地区画調整区域で宅地を建てられなかった場所。でも高齢により農業が出来なくなった人が増えた為、調整区域でなくなって家が建てられるようになりました。志紀駅にも恩智駅にも行きやすくて人気の住宅地エリアになっています。そこに路面店が集合したような感じの商業
大和川から外環状線を北東方向に進みJR大和路線を乗り越えてすぐです。数年前から発掘調査をしていました。結構広い範囲が空地で残っています。金網で囲まれた範囲が全て史跡指定されているのでしょうか?この後どうなるのでしょう。平成3
JR大和路線の志紀駅を国道25号線と反対側の東に降りてみましょう。バスロータリーを抜けて前に建つ団地の南を回り団地の裏側の道へ進みます。左の奥に弓削神社の高い木立の見える児童公園の横を通りそのまま北向きに進みましょう。昔ながらの街並みを歩く
場所は松原2中の北西にあるため池なのですが、ここって昔は池の横まで接近できませんでした。何となく寄り道がしたくなって道の奥に入り込んだのですが、いつの間にか池の周りが舗装されていて、一部が貸農地に変わっていました。その関係か今まで入れなかった池の縁に立てる